RQの3.11 1周年シンポジウム詳細

東日本大震災から1年を迎える目前、3月6日(火)に開催した、第3回RQシンポジウム(主催:社団法人RQ災害教育センター)。
平日の16時スタートにもかかわらず、西日暮里の会場には多くの方が足を運んでくださいました。

 

RQの3.11 一周年シンポジウム

参加者と各拠点のスタッフがフランクに話ができる場に、との思いから今回、16時から17時20分まではお茶っこタイムと称し、各拠点が現在の活動をアピールするブースを設置。
唐桑ブースでは養殖中の牡蠣が、歌津ブースではポン菓子製造機が登場。

 

そしてRQWのブースでは、被災地のお母さんたちがつくるバラ、タコ、マンボウなどカラフルなエコたわしも販売され、ポットラック方式で持ち寄ってもらった軽食をつまみながら、会場は賑やかな雰囲気となりました。

 

RQの3.11 一周年シンポジウム 唐桑ブース

RQの3.11 一周年シンポジウム RQWブース

 

<第1部>祈り

1分間の黙とうで始まった第1部は、祈りをテーマに、津軽三味線の車谷建太さんとソプラノ歌手の竹林加寿子さんが演奏および歌を披露。
「歌を通じて気持ちを分かち合うことができたのではないか」この1年間、被災地を回ってきたお二人は、そんな思いを語ってくれました。

 

RQの3.11 一周年シンポジウム 津軽三味線の車谷建太さん
RQの3.11 一周年シンポジウム ソプラノ歌手の竹林加寿子さん

<第2部>

開催挨拶 広瀬敏通さん
 
これまでのRQとこれからのRQの違いをぜひ、理解してください
 

このシンポジウムは一周年にあたる3月11日にやろうと思っていたのですが、当日は現地でさまざまなセレモニーがあるため日程を前倒しして、今日開催させてもらいました。
この1年間のRQの活動と、これからのRQの活動の違いを皆さんにぜひ理解していただく、新しくRQが生まれる、ということを話していきたいと思います。
 

RQの3.11 一周年シンポジウム 広瀬さん

あらためて実感――甚大な災害規模・地震・津波・放射能
 

あらためて伝えたいのは、この災害が恐ろしく甚大だったということです。
マグニチュード9というのは世界の歴史でも数えるほどしかありません。日本では初めてで、およそ2万人の方が亡くなり、1年経った今なお3,274人という膨大な方が行方不明です。私たちが一緒に活動させていただいた被災地の皆さんの中にも、息子あるいは父ちゃんがまだ見つからずにいる方がたくさんいて、1周年を前に葬式を挙げようと決めた方が何人もいらっしゃいます。今日も現地では、見つからない方の葬式が執り行われている、という状況があるのです。
また、90%の方が溺死したとされています。これまで私たちの知る地震災害では圧迫されて、あるいは怪我をして亡くなる方が多かったのですが、今回は津波で亡くなった方が圧倒的でした。
ただ、実際にはさまざまな亡くなり方があったものの、皆「津波」という一言で処理せざるを得なかったという事実もあったわけです。特に目を引くのは、60歳以上の方々が多かったことです。現地の60歳以上の方々の比率は35%、でも亡くなった方々の比率では65%。どれほど多くのお年を召した方が亡くなったのか、ということも、私たちは見ておきたいと思います。そしてついこの間、共同通信社が発表した「震災関連死」が1,331人。これは津波では助かり、避難所に入ったものの、その後に亡くなった方々、さまざまなストレスや障害に対して適切な対応がされずに亡くなっていった方々の数です。
つい数日前には、福島で5人の方が半径20キロ圏内の避難区域で餓死により亡くなったことが判明しました。誰もいなくなり、商店もすべて閉じて、食べるものもない中、逃げることもできずに亡くなった方々もいるのです。このような事態が今も進行中です。

 

阪神淡路大震災でも927人の「震災関連死」がありましたが、今回、遥かにそれを上回っています。私たちはこういう数字を見ると、どうしても感覚が麻痺します。
この数字の一つひとつにそれぞれの人生、笑顔や思い出があるということをつい忘れがちですが、膨大な人々の想いがここでなくなっていったのです。
現在も避難している方が34万人、そしてボランティアで現地に行った人がおよそ120万人と言われています。社会福祉協議会の統計では94万人ですが、RQなどの協議会以外の民間の団体はこの数に入っていないため、おおよそ110~120万人と言われています。

 

また、この災害は地震と津波だけではなく、膨大な「放射能」をまき散らしました。私たちが3月13日に福島の現地に入った時には、すでにメルトダウンが起きつつあったと言われています。
これまで私たちは、広島と長崎のそれぞれの原爆、第五福竜丸のビキニ環礁での米国・核実験による被ばく、これ以外は直接、放射能を被ったことはありませんでした。しかし、チェルノブイリ、スリーマイルに続いて、ついに日本でも原発が爆発してしまった。さらに重要なことは、放射能は今も流れ続けていることです。決して3月11日に終わったわけではありません。その量は、もしかすると日本の半分の人口が避難しなければならなくなるのではないか、と言われたりしています。

 

通常、地震は地殻のひずみを開放するときに起きますが、1年前に起きたマグニチュード9の地震は、それを遥かに上回る爆発的な地殻の変動が起きてしまったため、地震後、ひずみが高まったと考えられています。
このひずみは今までの計算式をすべてやり直さなければいけないほどのもので、首都直下地震や東海・東南海・南海地震、あるいはそれぞれの火山の噴火・爆発などがあちこちで言われるようになってきました。
2日後の3月8日、安田講堂で、これまでの地震研究の報告がされることになっています。ここで、かなりショッキングな内容が報告されるでしょうし、人々は事態の深刻さに愕然とするでしょう。同時に、これは遠い東北の出来事ではなく、日本中に関する自分事であることに恐らく気づくのではないかと思っています。

 

人間が生み出した原子力物質、放射能について、アメリカの原子力規制委員会は、つい昨年までは、全て人類に影響がなくなるまでには1万年かかると言っていたのを、10万年に軌道修正しました。これは次の氷河期が来てそれが終わり、次の人類がこの地球上にいる頃の話です。そんな頃まで、私たちが20世紀という時代につくってしまった放射能が影響を及ぼしてしまうのです。
これは考えてみると、大変なことです。私たちは原子力を単なる経済の問題、効率の問題、便利さの問題で語ってよいのか、ということを非常に強く感じます。
現在、国内54基の原子力発電所のうち2基が、まだ稼働中です。ひとつは柏崎刈羽原発6号機で3月10日の定期検査で停まる予定です。そして北海道の泊原発3号機、これも4月中の定期検査で停止する予定で、そうすると全54基が停まるわけです。当然これについてはさまざまな議論が巻き起こるでしょう。
その時、私たちひとり一人がどう思うか、電力が少なくなることについてどう考えていくか、自分の意見を持つ必要があると思います。

 

災害大国――自然現象と折り合いをつけて生きてきた日本
 

次に「災害大国」についてお伝えします。これまで繰り返し語ってきたことですが、日本の国土は世界のたった400分の1しかないのに、世界の大地震のおよそ4分の1が集中しているように、日本は地震大国です。この地震大国に54基もの原発がつくられました。そして海岸べりも含め、この東京を考えてもわかるように、地震に対する備えは殆どなされないという状態で、日々の生活は営まれています。
私たちは「災害大国にいる」ということを、もう一度思い出す必要があると思います。
地震だけではなく、巨大な低気圧や毎年の年中行事と化した集中豪雨など、かつては想像もしなかったものが、私たちを襲い始めています。つまり、地球の温暖化ではなく「極端化」です。極端に暑く、極端に寒く、極端に風が吹き、極端に乾く。そういう気象の変動が起きている。そしてこれらの現象に、人間の都合から見て、「災害」、「被災」という言葉を使います。つまり人間の立場から「害を被る」から被災、あるいは「災害」なのです。
私たちの祖先が、世界に1,500しかない活火山のうち108が集中し、しょっちゅうどこかで噴火し、地震がいつも起きて、そして台風もやってくるような、災害だらけのこの小さな国土から逃げ出さずにいた理由は何でしょうか。
それは言うまでもなく、この美しい四季、美しいだけでなく豊かな国土が災害によってもたらされていることを知っていたからなのです。
この自然現象を巧みに暮らしの発展に取り入れてきたのが、古来の日本人だったのでしょう。つまり、私たちは自然災害と付き合ってきた個性を持っているし、その人たちが自然災害は恵みであったと言っているわけです。

 

今回、多くのボランティアが、津波に流された方々の口から「これは自然現象なのだ」と繰り返し聞いています。
今、海では牡蠣やわかめの養殖が始まりました。これまで漁師さんが見たこともないような生育の良さで、海のプランクトンの数はものすごく多いそうです。これは4日前に私が南三陸町の歌津の雪の中で聞いた、伊里前契約会会長の千葉正海さんの話です。
息子の拓さんを海に潜らせたら、今までカチカチだった海の底、養殖筏などのがれきでいっぱいだった海の底がきれいになっていて、砂を手いっぱいに取ることができたというのです。これは60年前のじいちゃんたちが、ここの海で漁を始めた時と同じような状態だと……つまり私たちは60年で海の底をカチカチにしてしまったのです。じいちゃんたちの時代、1960年にはチリ津波が来ています。「60年前に戻った海を我々はもう一度カチカチにしてしまうのか、それを120年あるいは200年と長持ちさせるように使うのか……それが生き残った俺たちの仕事だ」と彼は言っていました。
本当にそういう思いを日本人は持ってきたのだと思います。

 

緊急性・自立性・専門性を持つのが災害ボランティア

 

釜石、いわきを合わせると、RQでは延べ4万5千人の人が活動してくれました。
当初、公設ではない避難所には物資や食糧が届かず、そこで飢えてしまった方々、寒さで亡くなった方々がたくさんいました。RQはそういうところに集中的に支援の物資を届けたのです。なぜ届けられたのかといえば、一軒一軒訪ねて行ったからです。当時、デリバリーと言われたチームの人たちは、本当に狭い崩れた道の中をかき分け、家を探し出しました。そうやって550カ所に届けたのです。

 

日本では、ボランティアは「無償の行為」と考えられ、そのために多くの誤解が生まれています。本来ボランティアは「自発的な行為」という意味で、私自身20代に国連ボランティアで活動していた時は自発的な行為でしたが、無償ではなく、きちんと給料をもらっていました。世界各地から来ていたボランティア団体もほとんど例外なく報酬をもらって活動していました。そして専門性はとても高かったです。
日本では、ボランティアは「タダで活動する専門性を求められない人たち」というように考えられています。しかし災害ボランティアは、日常的に活動する福祉関係のボランティアの方たちと違って、緊急性や自立性を持ち、同時に専門性もある程度要求される人たちなのです。
このように、現地で「ボランティア」という言葉がどうも宙に浮いている、という状況が1年経って見えてきました。
特に初期の緊急支援の数カ月は、乱暴に言えば、誰が行っても何をやっても受け入れられました。
でも、だんだん地域がそれぞれに自立を目指し、仕事を求め始めた中で、やることを見失っているように見えるボランティアの人は受け入れられにくくなっています。私たちは、明確な形を持って現地で動くことが求められています。

 

被災の現場で学ぶ――災害教育を広げ、活かす
 

これまで日本では「防災教育」という言葉が使われ、避難訓練などさまざまな活動が行われてきましたが、これがなかなか役に立たないというかリアリティがなく、国は数年前から体験型の防災教育を進めてきました。それでも現場で学ぶ仕組みではないため限界があることは否めません。阪神淡路大震災の頃に、現場こそ学ぶ力がある場所で、中でも被災地という現場は特別だということに気が付きました。
私は自然学校をやっていますが、自然学校の現場で何カ月も活動をしている学生たちが、神戸の被災地で1カ月活動するだけで、目に見えて成長するのです。
それは当時、随分話題になり、私は「災害教育」と呼んで注目しました。この現場の、しかも被災地が持つ「教育力」に着目して、私たちは災害教育と呼んだのです。
これは、昨年の5月頃まで皆さんによく紹介しましたが、RQで活動した宮城教育大の学生の話です。1週間、学生二人が月山神社(陸前高田市気仙町)にある避難所――60人ほどのお年寄りが身を寄せていた場所で、物資もほとんど届いていなかったところです――に泊まり込んでお手伝いをしました。
これは、彼らが泊まり込みを終えて、登米の夜ミーティングで次の人たちに引き継いだ時の言葉です。「僕が言えること、教訓としてここに残せるかもしれないこと。これは避難所のおばちゃんの言葉ですが『すべての避難所には、すべての人にはドラマがある』ということです。全ての人の一つひとつの心に、僕ら被災していない人間が量ることのできない悲劇が、深すぎる悲しみがあるということです。ただただ、あの人たちを想ってあげてください。あの人たちがして欲しいと思うことも、一生懸命考えて行動してください。目を離さないでください。愛してあげてください。そして力になってあげてください。彼らの心を何より大事にして、そして全身全霊で役に立ってください。お願いします。」
ここに書かれている言葉は、彼が一週間、月山神社で寝食を共にしたじいちゃん・ばあちゃんたちの顔を思い浮かべ、私たちに伝えてくれた言葉です。

 

災害教育とは
 

被災地で、被災者やボランティアや訪問者が、被災地や被災者の窮状に接して抱く「共感」や、利他的で貢献的な行動と感情。「自分でも何かできる」「自分も何かしなければ」とういう思いはその人を成長させるし、それは日本という災害大国に生きる者にとって、ヒューマンで災害に強い社会をつくるためにとても大事なことではないか。これを私たちは「災害教育」と呼んでいます。
この災害教育という視点から、私たちはこれからの東北の災害救援、被災地復興の活動やこれから起こるであろう災害に多くの日本人が現地に能動的に向かうための仕組みをつくっていきたいと思っています。

 

新しいRQが動き出します。東日本大震災は現代の日本を根底から変えていきました。
まだまだピンと来ていない人がいるかもしれませんが、この災害は阪神淡路大震災とも、中越地震とも違います。これまで私たちの世代が体験したことのないような、社会を本当に変えていく災害になりました。もちろん放射能のことも含めてです。
これまでの災害救援の範疇を超えていくことが、私たちにも求められています。
被災地に根を下ろした活動や、被災地を知るための広範な市民や子どもたちをつなぐ仕事、全国的に息の長い運動として、被災地の生活と生業を再生させていくようなことをやっていきたい。誰かがやるのではなく、ここにいる人々全ての力でやっていきたいと思っています。

 

専門性を持つ新組織「RQ災害教育センター」が始動
 

現地では、これまでRQ唐桑、RQ河北と呼んでいた団体が、地域団体化し始めています。そのための研修を12月から、つい4,5日前まで続けてきました。
これからこれらの団体に報告をしてもらいます。中心になっている登米は「RQ災害教育センター」が、コーディネーター的な役割を果たしながらつないでいきたいと思っています。「RQ災害教育センター」、名前が変わったことに気が付きましたか?「RQ市民災害救援センター」と呼んでいたボランティア団体から、ある程度専門性を持った人たちがしっかりと動けるような――最近流行の言葉で言うと「プロボノ」と呼ばれる専門性を持ったボランティアの人たち――そういう人たちがどんどん入ってこられる組織となるよう、社団法人を立ち上げました。「RQ災害教育センター」、今後予想されるさまざまな災害に立ち向かえる組織として、動いていきたいと思っています。

 

3月11日の一周年から、現地受け入れを再開します。各拠点はこれまでも活動してきましたが、3月中旬から下旬にかけて、対外的なボランティアの受け入れを始めます。
そしてRQは自立的で、自発的で、多様で、多彩な活動……「被災地復興支援×地域再生支援」、この2つの柱を掲げて活動を再開します。

 

皆さんにできること。まず、「東北に行きましょう」。官公庁は各旅行会社に被災地ツアーを呼びかけています。私たちもこれを現地で受け入れる体制をとりつつあります。ちょいボラもオーケー。とにかく被災地を自分の目で見てもらいたい。
出来る支援を始めてください。職場で、家庭で東北を話題にすることを習慣化してほしい。そして、RQやその他の支援団体とつながってください、ネットワークが出来ていきます。最後に「忘れない」ということです。春から徐々に現地ボランティア活動が再開します。

 

そして、これは大きな課題でもありますが、次の災害は間違いなく、恐らく近づいてきています。
1年前の3月11日、私はここで、まさに揺れるその瞬間まで研修をやっていました。全国から来ていた参加者の人たちと「救援活動をどう始めるか」と最初に話し合ったのです。まさに、先ほど言われたような状況が1年前にあったのです。そして、何とか車を手配し、2日後に現地に向かいました。
「次の災害に対して本当にどう動くのか」、日本人である限り、それは避けられない思考として来ているのだと思います。

 

今日は現地の活動を担う、今までも担ってきた人たちの話を聞いて、もう一度RQの、東北の被災地における前向きな活動が始まっているということをしっかりお土産に持って帰ってください。どうもありがとうございました。
 

(構成/富田夏子)

 
 

養殖場の復興を目指す地元・漁師さんとともに、漁業養殖業を中心とした体験センターを設立
RQ唐桑海の体験センター 星野伸行さん

 

RQの3.11 一周年シンポジウム RQ唐桑海の体験センター星野さん

RQ唐桑センターの星野です。通称ほっしゃんです。
RQ唐桑センターを「RQ唐桑海の体験センター」と名付けました。漁業養殖業を中心とした体験センターになります。開業オープンは現段階では4月29日を予定しています。地元の漁師さん、浜で活動している4家族の方々の、収入の道をつくりたい、元気になりたいという思いに応えるため立ち上がりました。4家族のうち、2家族は家も船も完全に流され、収入も全くない状態です。
その漁師さんからのメッセージがあります。

 

「私たちが住む唐桑半島は豊穣の海に抱かれ、海の幸が豊富な風光明媚なところです。しかしあの日、大津波は私たちの養殖場もきれいな海も、そして家も破壊してしまいました。でも私たちは決して海を憎みません。そしてこの海とともに生きる決意をしました。
海の復活を、養殖場の復興を目指す決意から、皆さんを末永くお迎えしたく、養殖の体験センターを設立しました。これから唐桑の魅力を大いに発信します。この地の復興にずっと思いを馳せていただきたいのです。皆さんが今後も唐桑を訪れていただくことが、私たちの応援となります。明日へ進む勇気となります。魅力的な唐桑を一緒に体験しましょう」

 

スタッフ一同お待ちしております。
体験プログラムのメイン会場となるのは藤浜という地区です。唐桑随一の夕日が見えるところです。体験プログラムの終わり頃には、美しい夕日に出会うことができます。唐桑の中でも海に沈む太陽が見られるのはここだけです。
体験センターへのアクセスも万全で大型バスも入れますので、是非お仲間でツアーを組んで来て頂きたいと思います。安全も確保し、お子さん方も受け入れる予定です。

 

プログラム会場では、まず「震災により壊滅した状況からいかに立ち上がってきたか」というお話をします。これを現場で学ぶ災害教育のひとつと考えます。
作業は、工程毎に3班に分かれて行い、1日に3プログラムをまわしていきます。
養殖漁場へは船で向かいます。船の上では、海の様子を説明し、漁場では生育状況を見てもらいます。そしてお楽しみとして、とれたての牡蠣を食べていただきます。牡蠣小屋が3月25日にオープン予定なので、ぜひ食べに来て下さい。

 

隣の浜の鮪立(しびたち)地区ですが、海岸沿いはほぼ全滅です。こちらも見学していただこうと思います。津波の傷跡も生々しい被災家屋ですが、現在ほとんどが取り壊されて基礎だけになっています。修復したエリアには宿泊することができます。

 

会場設営、看板広告作成などに、今後ともぜひご協力いただければと思います。
夏休みに向けて、キッズから中学生くらいまでに対応した家族用の新プログラムをつくっていきます。
これからRQ唐桑海の体験センターでは「地域再生支援研修員」を募集します。3・4月はオープンの準備、それ以降は体験センターの事務局的なお仕事をして頂きたいと考えています。是非ふるってご参加下さい。

 

唐桑漁協の組合長の畠山政則さんからメッセージを2つ預かってきています。
「3月18日(日)、唐桑養殖業復活感謝祭を行います。是非多くの皆さんに集まっていただきたいです」
日本中、世界中からいろいろな復興支援が入って、復興、復旧への道が早く進みました。その支援して下さった方への感謝を表す会です。

 

2つ目は漁師の皆さんの顔が輝いて、元気な笑顔が戻っていること。これは皆さんのおかげだということをぜひ伝えて欲しいということでした。

 

我々はこの体験センターに来る人をお客さんとして迎えるのではなく、唐桑を支援する仲間、その仲間になってもらうという気持ちでいます。これは漁師さん達も一緒です。ぜひ仲間として応援に来て下さい。
地域を元気にする「地元学」というものを提唱している方で結城登美雄さんという方がいらっしゃいます。その方の言葉で、「隣人が苦しいときに他人事で済ませない村の心が地元学の原点である。その心が通じるところは全て地元である」というものがあります。唐桑が皆さんの地元であることを願っています。

 

(構成/野口大介)

 
 

3つの活動を柱に、今後も地元の方と一緒にボランティア活動を
RQ小泉ボランティアセンター 西村 登さん

 

RQの3.11 一周年シンポジウム RQ小泉ボランティアセンター 西村 登さん

小泉では、今までやってきた活動をそのまま継続します。
活動を続けていく上で3つの柱があります。

 

「思い出の品探し/ガレキ撤去」
「水仙ロード復活プロジェクト」
「災害教育スタディツアー」

 

これらを基本にやっていきます。

 

まず、「思い出の品探し/ガレキ撤去」ですが、こちらもまだまだ残っているので、続けていかなければなりません。地元の人からは畑を使いたいという声があって、現在最終仕上げに入ろうとしている段階のところもあります。
ガレキ撤去作業中に見つかったアルバムやトロフィーなど思い出の品は、KRAという団体が管理していて、写真に至っては骨格認証までして、その場でご本人に渡せるようなシステムができあがっています。

 

2つ目の柱は「水仙ロード復活プロジェクト」です。約3キロにわたって水仙が咲いている道が、津波でほぼ根こそぎ持って行かれました。2年に一度、水仙祭りが行われていましたが、今は何もありません。そこで地元で水仙を株分けして、復活させようという計画です。
これからも小泉での活動は、地元の方を中心に行っていきます。「水仙ロード復活プロジェクト」も代表は地元の方です。
地元の方も一緒に作業を行って、みんなで新しい小泉の水仙ロードをつくろうと考えていますが、水仙ロードの途中がガレキの2次集積及び処理場になってしまうため、ルートが変更されるかもしれません。それも地元の方と相談しながら、どこに植えるか決めていきます。ひまわりを植えているところもあり、今後は春は水仙、夏はひまわりが見られるようになります。
水仙ロードの清掃や土の入れ替え作業にボランティアさんのお手伝いが必要です。
また、水仙グッズの販売も行います。地元小中学校の子どもたちに水仙の絵を描いてもらって、それをパッケージにして売り出す予定です。

 

3つ目の柱の「災害教育スタディツアー」ですが、“ガレキの集積場を見る”、“ガレキの撤去をする”ことも災害・防災教育の一環だと考えています。「こういう風に破壊されてしまった」ということを知ること。今、語り部になって下さる地元の方を探していて、震災当時の話、避難所での話、こういうものがあったら便利だったといった話をしていただこうと考えています。こうした話を通じて、今後、自分が被災した時にどうすればいいのか、その時自分は何ができるのか、ボランティアとして何ができるのか、何を備えたらいいのか……考えていただきたいと思っています。
スタディツアーは小泉ボランティアセンター単体では商品として成り立ちにくいので、旅行会社さんとの連携を図っていきます。ツアーでは、初日は小泉地区でのガレキ撤去などの作業、語り部さんの話を聞き、2日目は市街地に復興商店街が6〜7カ所できているので、そちらで買い物を、その後、唐桑地区で漁業体験をしていただく2泊3日のコースを検討しています。このプランなら、山側と海側の両方を見ることができます。

 

その他「カフェ」活動があります。以前は週3回やっていましたが、現在は月に1回程度になっています。カフェは仮設住宅、また在宅の方々に、地域コミュニティの結束を深めてもらうために行っていました。一部の仮設については、自主的にカフェやお茶っこを始まっているので、そこに関してはサポートをしています。

 

地元のお祭りにも参加させていただきました。昨年もお手伝いしましたが、今年も八幡神社のお祭りに参加します。他にも他団体と連携して、ろうそくづくり(3.11追悼キャンドル)や学習支援を行っています。地元の商工会の青年部と一緒に活動もしています。

 

地域住民の方々からの声の中でもいちばん要望の多い農作業や共同農園を本吉の他団体さん達と共同で行います。
今後求めるボランティアさんは、中長期に渡って一緒に活動出来る方です。現場のリーダーをやってくれる方、ボラセンのサポートをやって下さる方を募集します。もちろん短期で来て下さる方も大歓迎です。子ども向けの活動に関しては、子どもの顔を見ながらの活動になるため、何度も足を運んでくれるリピーターボランティアさんがいて下さると子どもも安心でき、大変助かります。

 

(構成/野口大介)

 
 

子どもたちの視点で町づくりを考え、「山学校」の文化を復活させたい
歌津てんぐのヤマ学校 蜘瀧仙人(くもたきのりと)さん

 

RQの3.11 一周年シンポジウム 歌津てんぐのヤマ学校 蜘瀧仙人さん

蜘瀧仙人は歌津に来てから付けた芸名、ソウルネームです。もともと蜘蛛の研究家をしていました。ボランティアセンターだけどエコビレッジをつくる活動をしていた歌津に来て、8月から子どもたちの遊び場づくりをしてきました。そして今後、自然学校にしていく取り組みをしています。

 

はじめに、南三陸町歌津の漁師・千葉拓さんからのメッセージを紹介します。

 

「大切なことは、自然の豊かさや、自然の中で生き抜くための知恵や知識であり、それを共有できる仲間がいるということに尽きると今回感じました。この3つが揃っていれば、どんな大災害が起きても人間は生き抜けると確信しました。私たちが知識や知恵を学んだ場所は浜でした。そこで友達を交えて自発的に、体験して、ものを食べて学びました。それが歌津の味であり誇りだと思っています。未来のそのまた未来の子どもたちにも、地域の味や誇りを残していくための漁師でありたいと思っています」

 

グループの名前は「歌津てんぐのヤマ学校」といいます。なぜ「天狗」とか「仙人」というかを説明します。ボードに、「自然」と「文化」と「災害」という3つのキーワードを書きました。自然の中に書いた恩恵と畏怖。自然は恵みでもあり脅威でもあります。三陸は山と海が非常に迫っているので、津波が来た時には山に逃げて、そこの薪を燃やして暖をとり、山の水を汲むことで生き残ることができた。そういう自然について学ぶことがコンセプトのひとつです。

 

次に文化です。今回、文化や伝統の技を継承してほしいという親たちの願いが強まったわけですが、同時にそれは発見でもありました。私たちの世代は、すでに継承することをやめて、伝統的な保存食の食べ方などを忘れています。たとえば被災地にはカップ麺やレトルト食品が届きますが、そればかり食べていたら長期ボランティアは病気になってしまいます。だから、地元の人がつくる漬け物などの保存食をできるだけ食べるようにしました。また、現在の拠点はキャンプ場なので、冬の雪の中、マイナス15度で、薪や練炭で暖をとりながらの暮らしを子どもたちに体験させました。すると健康が基本になって、自分にとっての発見にもなる文化を引き継いでいくということになります。

 

最後に災害の現場であるということです。災害は危機ですがチャンスでもある。すべての町が壊れてしまったから、町づくりを一から考え直さざるを得ない。ドラスティックに町を変えることは普通の都市ではできません。その現場で、私たちはどういう視点で復興に関わっていけるのかを考えています。
私たちが「ヤマ学校」の基本にしようと思っているのは、小学生を中心とした子どもたちの視点からの町づくりです。先ほど拓さんが、自分の子どもに食べさせる歌津の誇りとしての牡蠣をつくりたい、ちゃんと調べて、家族から家族へ安全性を伝えて牡蠣を売りたいと言っていました。それは「じゃみっ子(子ども)」、小さいけど味の濃い美味しい牡蠣です。山の恵みや川の清流が、海の下から湧き出ているのを潜って見た彼は、その素晴らしい自然ぐるみの海の豊かさを、子どもたちに伝えていきたいと思います。

 

子どもたちが学ぶのは「山学校」という文化です。学校をさぼって、畑の大根を抜いて味噌付けて食べるとか、勝手に漁場に潜ってアワビ獲って食べるとか、これを「山学校」すると東北では言ってきました。そのバイタリティを復活させることで、生活の力を取り返していく現場をつくりたい。先生になるのはお父さんお母さん、お祖父ちゃんお祖母ちゃんです。キャンプを行って、自然の中で生きていく技術と、災害教育、その現場で実際災害が起きた時にどのようなことが大切かを、親と一緒に学ぶというスタイルを展開したいと思っています。
伊里前川にシロウオが上がって来ますが、それを獲る伝統の漁法——―石積みを鏃のような形に置いて真ん中に網を置く——―があります。それを「シロウオまつり」というお祭りにしてきました。まだ3回目くらいですが、被災で中断しそうなところで、拓さんのお父さんが「今年もやろう」と言いました。壊れた石積みを直したり、木が倒れて汚れている川もきれいにしなければならない。元スタッフの野犬君の発案ですが、4月〜5月にそういう作業を地元の人たちと一緒にやっていこうと思っています。

 

今日はポン菓子をつくる機械を持ってきましたが、それを使って仮設テント商の中に駄菓子屋をつくろうと思っています。子どもにとって町にはどんな要素が必要かをリサーチすると、国語のノートが欲しい、大きなショッピングセンターがほしいという声があり、じゃあ駄菓子屋や文房具屋をつくろうということになりました。また、そこに通える道、子どもの復興ロード計画を地元の人たちと話し合っています。浜沿いの道や高架道路は全部壊れてしまい、普通の細い道路をダンプカーが走っているのが現状で、危なくて外出させられないと、学校との間をシャトルバスで送っています。子どもたちは道草も、途中で遊ぶこともできない状態が1年続いています。これをなんとかしなければならない。
リアス式海岸の土地は、好都合なことに山を越えれば隣の集落に行けます。車は浜沿いを回りますが、昔の人は山を越えていた。グリーンロードもそうですが、山の中の道はたくさんあった。今は使われなくなって荒れていますが、これを復活したら、子どもたちが山を越えて遊びに行けるじゃないかと。それはまさに「ヤマ学校」の得意領域ですね。夏のキャンプでは、薮漕ぎをして休耕田の畦道を復活させて、そこに橋を架けたりしました。大人たちが高台移転を考える時に、子どもたちも自分たちの町を考える。

 

そのお手伝いをしてくれる人を求めています。子どもと遊ぶのが得意な人、ものづくりが好きな人、あるいは、東京でオリエンテーションをしてくれる人などです。ぜひご協力ください。

 

(構成/京谷 卓)

 
 

中学生が成人するまで5年間、活動を継続することを目標に
リオグランデ 佐々木豊志さん

 

RQの3.11 一周年シンポジウム リオグランデ 佐々木豊志さん

リオグランデはスペイン語で「大きな川」という意味で、大川小学校にちなんで名前をつけました。
旧河北ボランティアセンターは、石巻市河北、北上川の河口近くで活動していました。くりこま高原自然学校のプログラムで、よく北上川を下っていたので、震災後、すぐ現地に入り、塚原俊也と私で拠点を起ち上げました。 河口から3km、4km上流には、皆さんがよくご存じの大川小学校があります。全校児童108名のうち、70名の児童が亡くなり、4名が行方不明、9名の先生が亡くなっています。

 

私たちは早い時期に現地に入り、ガレキの片づけや泥だしを行いました。大川小学校の上流1kmには大川中学校があり、卒業式の直後に津波に襲われました。石巻のボランティアチームと協力して、体育館の泥だしもしました。 ここでは多くの中学生が妹や弟を亡くしていて、自宅に帰ると辛くて居場所がありません。RQは公民館を借りて物資の配給をしていたのですが、お手伝いにきていただいていたお父さんやお母さん、おじいちゃん、おばあちゃんたちも、自宅に帰るのが辛いといって、夜遅くまで公民館にいらっしゃるんです。 そんな事情があり、地元のお母さんからの要望がきっかけに、子どもたちの勉強を見ることを含めながら、中学生の居場所をつくろうと学習会を始めました。子どもたちの居場所をつくるための、勉強をしない学習会です(笑)。

 

12月でRQの活動は終わりました。拠点にしていた公民館をお返ししましたが、今も民家を借りて活動を継続しています。 お子さんを亡くした家庭と、そうでなかった家庭、教育委員会、学校とに壁があり、私たちのようなよそ者が行って、その壁をどうこうするのは正直、難しいことです。だから私たちができることは、子どもを預かることで、笑顔を増やして、震災でできてしまった地域の人たちの壁が、少しでも解けていくといいなという願いで活動しています。 RQの1年の活動では、区長さんたちの協力を得られたことがよかったと思います。普通はよそから来て、ボランティアセンターを立ち上げることは難しいのですが、ここは「ぜひ来て下さい」とお願いされた地域です。区長さんほか親御さんからの信頼があることが強みです。弱みもあります。 大川中学校、大川小学校よりさらに上流の福地という地区があります。ここは学区が広いので、地元の小学生との関係はまだ薄いですし、福地地区以外の小学生とはつながりを持てていません。被害が大きくまだデリケートな地域なので、積極的にこちらから働きかけるのは難しいですね。

 

今後の活動資金についてですが、今年いっぱいはアメリケアズの助成金をいただいているので、充分活動することができます。塚原、中山、海住、3人の常勤スタッフがいるので、ボランティアを常時受け付けています。臨床心理士さんにも協力いただいています。 活動は週3回の勉強会とイベントをいくつか行いました。12月25日にはうどんづくりと餅つき、1月21日には草木染め、2月21日には味噌づくりを行いました。 くりこま高原自然学校で行っているプログラムも取り入れ、少しでも子どもの笑顔を増やそうと思っています。

 

この活動は中学生のこどもたちが成人するまで、つまり5年は継続してやろうと思っています。次の世代にバトンを渡せるまで続けたいので、そのための活動資金を得られるよう動いています。

 

(構成/渡辺朋和)

 
 

被災地の現状を見て、感じて、考えるためのスタディツアーをスタート
登米 浦田紗智さん

 

被災地は復興には程遠く、周りの応援が必要。
被災地を支援したい人はたくさんいる。
でも、両者の思いがうまく合わなくて、勘違いボランティアや被災地の自立を妨げる支援がたくさんある。
今までと違って、誰にでも、いつでもできるボランティア活動がいっぱいあるわけではない。
じゃあ私たちにはもう何もできないの?
いいえ、被災地に行って、見て、感じて、考えてください。
今、自分に何ができるか? 今までのようにボランティア活動がお膳立てされていなくても、何かできることがあるはず。
そして行動してください。

 

それはもしかしたら、あなたの専門性を生かした支援活動かもしれない。
地元で東北の産物を買うことかもしれない。
東北に観光で訪れることかもしれない。
東北に移住して、仕事をすることかもしれない。
誰かに手紙を書き続けることかもしれない。
東北で起業することかもしれない。
募金することかもしれない。
周りの人に東北の現状を語ることかもしれない。

 

きっと何かできることがあるはず。
被災地は課題が山積みの場所。でもその一方で、学びと、元気と、変化と、自然に富んだ魅了的なところ。
あなたにとっても、いいことがあるはず。
訪れてください。東北に。

 

そこで企画しました。被災地を学ぶ、被災地で学ぶツアー。
被災地の現状を理解し、さらなる支援を促すプログラムやツアーの企画。
被災地を学びの場とし、全国で抱える課題の気づきを得る企画を行います。
被災地で活動したことがあるRQボランティアOB・OGの経験を生かしたい。
被災地で見たもの、した経験を、これから被災地を訪れる人に語り継がれるようスタディツアーを作るプログラムを企画しました。

 

あなたの経験を次につなげましょう。
4月からは個人や団体を対象にスタディツアーを開催します。
皆さんと一緒につくり上げたい、ぜひご協力ください。

 

(構成/跡部喜美子)

 

※このスタディツアーは昨年4月から登米でボランティアを続けてきた浦田さんが個人で主催する企画です。
なお、RQ東北本部として大勢のボランティアを受け入れてきた登米は、一般社団法人RQ災害教育センターが直轄で運営する「交流センター」機能と「ハブセンター」機能を併せ持った「RQ登米復興交流センター」(仮称)という組織になることが決まりました。

 
 

自然の中でのキャンプ体験を通じて、どんな環境でも生き抜く知恵を子どもたちに身につけてほしい
RQ鱒淵キャンプチーム

 

RQの3.11 一周年シンポジウム RQ鱒淵キャンプチーム みいらさん

みいらこと水村昌司です。昨年4月からRQに参加していました。夏休みに鱒淵で子どもキャンプをやると聞き、野外教育の仕事をしていた経験を活かし、ぜひ子どもキャンプに関わりたいと思い、8月は子どもキャンプを3本、親子キャンプを2本、秋にも親子、子どもキャンプを1本ずつ行い、親御さんを含めて延べ75名に参加していただきました。今は同じ宮城県内の蔵王の雪山で仕事をしていますが、春以降は鱒淵の四季や自然を生かしたキャンプを続けたいと思っています。

 

復興支援としてキャンプ(=野外活動)を行うのは、被災地の子どもたちに、自然に触れてゆったりする時間を持って欲しいからです。子どもがキャンプに参加することで親御さんも安心して自分の時間をつくることができるし、親子で参加すれば一緒に遊ぶことができます。あえて鱒淵にこだわっているのは、被災の爪痕の残る場所を離れ、震災前と変わらない豊かな自然環境に触れることで、自然と共生する知恵を身につけてもらえたらと思っているからです。

 

先ほどから災害教育という話が出ていますが、たとえ、直接津波の被害を受けた土地でなくても、自然の中で暮らすことは災害教育につながると考えています。多くのボランティアが活動したRQ東北本部のあった場所で、ライフラインが確立されていない野外生活を経験することで、どんな環境に置かれても強く生き抜く“生きる知恵”を学んでほしい。三陸沿岸部だけではなく、福島、関東、関西など、全国の子どもたちが鱒淵に集まれば、新たなつながりができるでしょう。僕らがRQの活動で得た人とのつながりが、鱒淵という場所で生まれたらすてきだなと。震災で離れ離れになってしまった友達同士が再会できる、広場のような場所をつくることを目指しています。

 

鱒淵キャンプのコンセプトは、四季を感じ、そこに暮らす方々が昔から受け継いできた伝統文化を学ぶことです。昨夏はボランティアが中心となって行いましたが、今後は地元の方々に主導していただきながら、子どもたちが地元の伝統や文化を感じることができ、僕ら自身も学びがあるようなかたちでやっていけたらと思います。

 

僕自身は去年の震災時は蔵王にいて、3日ほどライフラインが全くない状態でした。津波は来なかったものの、陸の孤島。キャンプ慣れした人が多く、川から水を汲み、火を焚くなど、ある程度のことはできましたが、情報がない中での経験から学んだことも多く、自然の中で、生きる力を養うことの大切さを実感しました。

 

人と人の繋がり、「結(ゆい)」という言葉を、僕は鱒淵で知りましたが、キャンプを通じて結のような関係ができればと思っています。地元には、冠婚葬祭や農作業において、利害関係ではなく互いを助け合う結という風習が昔からあったそうです。今は、結の関係も薄れてきていると地元の方々は言いますが、キャンプで育まれる関係は新たな結を築くチャンスだと思っています。離れていても、なにかあれば集まることのできる仲間づくりをすることも、キャンプを通じてできると信じています。

 

キーワードは「自由・挑戦」。そして「交流」「未完成」。
まず、「自由・挑戦」。子どもたちが何かをやらされるのではなく、こういうことをしたい、こういう風に遊びたいと自分で考え、やりたいことを実現できる場をつくること。そして、仲間といるからこそ自分一人ではできないことに挑戦できること。お仕着せのプログラムを用意するのではなく、子どもたちの自由な発想を生かすことを大切にします。

 

「交流」とは、人、自然、文化の交流です。自然との関わりを通じて、いろいろな交流ができるようなキャンプ場をつくり、キャンプを行っていない時でもふらっと立ち寄れる場になればと考えています。昨夏は市の施設の一角をキャンプ場にしましたが、地元の方(小野寺寛一さん)が、その施設の裏の林を使ってログハウスでも何でもつくっていいよと言ってくださっているので、今、鱒淵でのキャンプ場づくり計画を進めています。

 

「未完成」。完成形をつくらず、常に進化し続ける。「RQはアメーバのような団体だ」という言葉も、こういうニュアンスを含んでいたと思いますが、これはRQの精神そのものだと思っています。たとえばキャンプ場も、こういう風な形が出来ました、それでいつでもここでキャンプが出来ます、ではなくて、じゃあ今度はこういうものができないかな、こういうモノがあったら面白いとか、完成していないからこそできる自由な発想と遊び心をもって常に進化し続ける。そういう“場所”も含めて、子どもたちとの関係も常に進化し続けるという意味で「未完成」を3つ目のキーワードに挙げました。

 

まずは組織づくりから行います。地元の方々も協力してくださる予定ですが、チームとしての組織づくりと、それ以外にまだほとんどメンバーがいないので、これからサポータ-やスタッフを募集していきます。今まではボランティアの中からスタッフを募ってきましたが、今後はキャンプスタッフ研修を行い、安全管理なども学んだ上で、プロボノとしてのスタッフ体制をとり、四季を通じたキャンプ、夏休みなどの親子キャンプ、RQリピーターが参加出来るキャンプをしていく予定です。

 

正直資金はまったくないので、まずは大人向けのキャンプで参加費をいただいて、それを活動資金に充てることに加えて、助成金の申請も検討しています。趣旨に賛同いただける方のご支援も歓迎します。
今後の予定プログラムは、まず4月21、22日に、華足寺大祭に合わせてキャンプを行います。続けてスタッフトレーニングを行う予定です。6月下旬は蛍の季節なので、ぜひ見にきてください。夏休みには子どもキャンプ、親子キャンプを、また鱒淵キャンプ場づくりもプログラムとして行う予定です。現地はもちろん、東京サイドで一緒にチームとして動いてくださる方を募集しているので、お気軽にご連絡ください。ありがとうございました。

 

(構成/江戸川淑美)

 
 

「自分の町にある公園」を一緒につくっていく
くりの木ひろば 大和夕子さん

 

RQの3.11 一周年シンポジウム くりの木ひろば 大和夕子さん

「くりの木ひろば」のある小泉という地域は、町の7割近くが流されて、仮設住宅での生活が続いています。公園は仮設の駐車場となり、室内の遊び場所だった公民館は流されてしまい、子どもの遊び場が欲しい、という地域の声に応えて活動を始めました。広場は、地元の方のご厚意でお借りしている栗林です。そこから、「くりの木ひろば」と名づけ、11月2日にオープンしました。活動をする中で、RQがいったん終わっても、このまま終わらせられないなと思って現在も続けています。

 

この広場は、子ども達が安心して思い切り遊べる場所、いつでもここに来れば友達と会える場所、を目指しています。小泉の人達の仮設は9ヶ所ほどあるため、子ども達は本当にばらばらです。いちばん大きな小泉中仮設に入れなかった子は、小学生が兄弟とあと一組しか周りにいないため、友達と遊ぶ場所も会える場所もないということでした。私はその話を聞いて「居場所をつくりたい!」と、純粋に思いました。

 

ここでは「好きなことをして遊ぶ」ことが活動の中心です。いつ誰が来てもいい場所なので、自己責任の中で、好きなことをして遊んで過ごします。ボランティアは広場を管理したり、子どもたちを見守ったり、一緒に遊んだりします。いちばん大事なのは、広場が何かを「提供」する場ではなく、一緒に「つくっていく」場所だということ。こう考えたのは、ある在宅のお母さんから「イベントは仮設の人向けのように思えて参加しにくい」「何かをもらう時期はもう終わっている」という話を聞いたからです。
そのお母さんは「お菓子をもらえるから行く、ということが続くのは子どもにとってもよくないと思うの」と涙ながらにおっしゃっていました。全体の3割の家が残っていて、在宅のお母さん達は何かしてもらうことに対して、後ろめたい気持ちがあるわけです。だから、あくまで「自分の町にある公園」と受け取ってもらえるように活動しています。

 

木登りをしたり、穴を掘ったり、焚き火をやったりが主な遊びです。何もしていないと地域のおじいちゃんがブランコや竹ぽっくり、竹馬などをつくってくれたりします。春以降も、おじいちゃんが広場にハンモック、シーソー、ターザンロープをつくりたいといっているので、今募っている寄付金を材料費に当てられるといいな、と考えています。
また、春になった時の楽しみに……と、去年11、12月に球根を植える会をやりました。この球根も、毎日新聞発行の希望新聞経由で寄付していただいたもので、肥料は地元の方が持ってきてくださって、お金をかけずに行うことができました。

 

ここが地域の憩いの場となることも目指しています。初めは子ども達向けの広場と考えていましたが、おじいちゃんおばあちゃんが散歩の途中で顔を出してくれたり、ベンチでのおしゃべりなどにも利用してもらっています。また、保護者の休息の時間づくりにもつながっています。子ども達が安心して遊べる場があると、その間に買い物を済ませるなど、大人も子どもと離れる時間を持つことができます。そういう時間も大切ではないか、と考えています。

 

11月から約2カ月間の活動で延べ人数、300数名、ずいぶん遊びに来てくれました。1月9日からは、現地の路面状態が危ないためお休みをいただき、3月24日に始まる春休みに合わせて再開する予定です。11月という寒い時期から始めたこともあるため、地域への周知を考えて、今年の夏休みから9月頃までサポートして、そのあとは広場の管理を地域の方に移行して、地域の方たちに運営してもらうことをひとつの目標としています。

 

現在、連絡先は現地のお父さん達となっているし、私たちがいない間の広場の見回りも、3人のお父さん達が交代でしてくださっています。大人、特に女性にとって困るのが、広場にトイレがないことですが、先日「近くの工務店のトイレを借りられることになった」、「仮設で余ったトイレをもらうこともできるよ」、と連絡をもらいました。困った状況で「どうしよう……」と言っていると、こうやって地域の方が少しずつ支援してくれて、一緒につくっていく形になってきているのが嬉しいですね。

 

活動を続けるにあたって、地域の方にも本当にたくさん協力していただいていますが、会計・調整などを含めて、今はほとんど私ひとりでやっている状態です。もちろん活動のための寄付金も募集していますが、今は、今後も活動を続けていくための人手を求めています。特別なスキルは必要ありません。子どもが怪我なく遊べるよう、見守ってもらえれば十分です。みなさん、ぜひぜひボランティアに来てください。

 

(構成/菅野みゆき)

 
 

責任を持って記録をすることで、地域のみなさんの歴史に光をあて、郷土の魅力を外に伝える
聞き書きチーム 山中俊幸さん

 

RQの3.11 一周年シンポジウム 聞き書きチーム 山中俊幸さん

聞き書きチームの相談役の山中です。
聞き書き活動は、被災した方々の過去の記憶を自分史としてまとめてお渡しするためと、地域の文化や伝統、風習などを記録として残すために、7月1日から始めました。

 

かなり大勢の人が活動に参加してくれましたが、当初は午前中からお昼まで1時間半ほど話を聞いて午後に宿舎に戻り、夜の3時間くらいで原稿を仕上げていました。ところがその3時間で仕上げられるのは、メモ書き程度。それだけではご本人に渡せないので、10月ごろまではそのメモを元に、東京の聞き書きチームが本番原稿を仕上げるというかたちで活動していました。

 

ただ、1時間半のインタビューのメモ書きを本番原稿にしても、出来上がるのは4、5ページ程度の内容が薄いものです。話し手の皆さんに原稿をお届けに行くと、渡した瞬間、「まあ、こんなもんだろうな」という顔をされちゃうわけです。話し手の言ったことが正確に反映されていなかったり、話し手の言葉でなかったりしているからで、東京チームもこれじゃいけないと感じるものがあったんですね。そこで方針を改めて、録音した90~120分の内容をすべて書き起こして(そうすると大体20~30ページになります)、さらに話の中に出てきた記憶に残る祭りや行事、食べ物や料理、建物や風景など、昔の写真をネット上で探して下書きの原稿の中に加えました。そうやってつくった下書きをお渡しすると、更に記憶が蘇るらしく、話がはずみます。この話も取り込んで完成形を仕上げるというかたちをとっています。ですから、最近の原稿は40~50ページくらいになっています。

 

RQの無料バスが11月に終わってしまったので、現在は皆、自腹で現地に行っています。ほとんどが仕事を持っている人たちなので、金曜日の夜にバスに乗り、朝の8時頃に仙台に集合。そこから仙台に住んでいる聞き書きチームの方の車やレンタカーで2時間ほどかけて現地に行き、1回あたり3軒程度、下書きをもとに再度お話を聞いて、土曜日の晩に仙台からバスに乗って日曜の朝に東京に着くというスケジュールで活動しています。

 

RQの活動は、責任者がいないというのが特徴でもありましたが、この聞き書きについて言えば、聞きっぱなしのまま放置しておくわけにはいきません。「話は聞きに来たが何もあがってこない」「自分史とはいえないお粗末なものを置いていっただけ」では、RQの評判を落とすことになり、地域に残って活動している人たちも困ってしまいます。お話を聞いた方が満足していただけるような自分史になるまで、最後まで根気よく責任を持ってやる必要があります。現地でのRQの活動を陰で支えているのが現在の聞き書きチームだといえます。

 

これまで話を聞いた人たちは41名いて、そのうちの4名が原稿化を断った人たち。3月18日現在、完成形としてお届けしたのが16名、完成間近なものが19名、まだ下書きをお渡しできていないのが2名で、全体の8割弱くらいが終わりつつあります。
とはいえ、当初の4〜5ページでお渡ししてしまったものも、改めて書き直したほうがよいと考えています。逐語録──音声データから原稿を起こす作業をみんなで手分けしてやっていますが、けっこうこれが大変な作業です。ぜひこの作業を手伝ってください。どうぞよろしくお願いします。
 

(構成/江戸川淑美)

 
 

お母さんたち自身の手で「さざほざ」ブランドを大きく育ててもらえるように
RQ被災地女性支援センター 栗林美知子さん

 

RQの3.11 一周年シンポジウム RQW 栗林美知子さん

RQ被災地女性支援センター(RQW)の栗林と申します。
今日の参加者はRQWのことを知っている方も多いようですが、簡単に成り立ちを紹介させてもらいます。RQWは緊急支援時に避難所を回っている中で、プライバシーのない環境や、女性特有のニーズに応じた支援物資が届いていない状況を見て、女性への支援の必要性を感じたメンバーとそれに賛同したメンバー5人で立ち上げました。一応、代表は広瀬さんです(笑)。

 

私たちは被災地の復興において、女性が自らを生かして元気に活躍できることをビジョンにしていて、その活動には2つの大きな柱があります。
1つは仮設住宅に移った9月頃から始めた手づくり講座です。避難所から仮設住宅へは抽選で移動するケースが大半で、被災者の方々は隣に誰が住んでいるかもわからない、見ず知らずの場所に移らざるを得ない状況でした。そこでコミュニティづくりのために始めたのが、手づくり講座でした。

 

もう1つは、経済的な自立を支援する手仕事プロジェクトです。RQWのメンバーの一人、仙台出身の足立さんは、地元の伝統や方言などをアイデアとして出してくれる人で、今回もRQWの手仕事プロジェクトが企画した東北発のブランドに「さざほざ」という名前をつけてくれました。さざほざは“和気あいあい”という意味で、お母さんたちにも和気あいあいと、このブランドを育てていってほしいと願っています。

 

ひとつ目の手づくり講座の参加者は、2月末で1000人を超えました。これは冬の間、雪道を運転して、講座を続けている現地メンバーのおかげです。1月は1カ月で、参加者が300人を超えました。仮設住宅に入居後、すぐには集会所ができず、お母さんたちは集会所ができるのを楽しみに待っていたんですね。だから集会場が使えるようになって手づくり講座が始まると、1回に30人も集まったり、午前にやると午後もやってほしいと言われる人気の講座になっています。

 

今までは編み物が中心でしたが、最近は料理、水墨画、体操教室なども行っています。手づくり講座の参加者と話していると、お母さんたちは家族のこと、子どものこと、地域のこと、仕事を失くして元気も失くしてしまったお父さんのことを心配していることがわかります。お母さんたちに本当の笑顔が戻るのは、すべての悩みを解決したときで、私たちは何よりお母さんたちに笑顔を取り戻してもらいたいと思っているので、これからは、男性や子どもたちも一緒に元気になる活動も展開していきたいと思っています。

 

手仕事プロジェクトでは、ご当地の名産をモチーフにしたエコたわしの制作・販売をしていて、商品の企画・開発は私たち自身でやっています。もともとものづくりが大好きなメンバーが集まっているので、企画会議を楽しく開いています。制作指導は現地で、商品の出荷は東京支部で担当しています。東京支部では元RQ東京のメンバーやRQWのサポーター・スタッフが、毎週木曜日にタグづけや、購入者への配送をしています。

 

今はイベント販売が中心で、サポーターの皆さんに販売ボランティアをお願いしています。お客さんは商品に共感して購入してくださっていて、販売も上手く行っていますが、将来的には、今はつくり手だけのお母さんたちにこの事業全体を運営してもらい、私たちは、お客さんとして気に入った商品を買う側になればいいと思っています。

 

その小さな兆しとして最近は、編み物の得意なお母さんが、別の仮設住宅に講師として行ってくれるなど、自主運営への道に少しずつ向かい始めています。
みなさんからのメッセージは、お母さんたちのやる気を引き出す大きな力になっています。いろいろな方法でお母さんたちを元気づけていて、少しずつ自立につながることを願っています。

 

RQWはすべてをボランティアで担っているのでその限界もありますが、私たちの地道な活動を見て、協力を申し出てくれたある企業さんのアドバイスを受けて、この度エコたわしに「編んだもんだら」という商標をつけました。昔、東北の人たちは編んだ稲藁に灰をつけて洗いものをしていて、それを「もんだら」といったそうです。エコたわしも“(アクリル毛糸で)編んだ、もんだら”ということで命名しました。4月上旬から本格的に出荷します。今はイベント販売だけですが、協力してくださる店舗があれば、ぜひ販売したいと思っています。

 

忙しくはありますが、お母さんたちの笑顔を見ると、大変さもすっ飛んでしまいます。これからも中長期に支援していきますので、応援よろしくお願いします。

 

(構成/塚田恭子)

 
 

東北で、現在進行中の活動および今後のボランティアについて
広瀬敏通さん

 

RQの3.11 一周年シンポジウム 広瀬さん

今、現場から今後の活動について報告してもらいました。聞いていておわかりになったと思いますが、それぞれ違いがありますよね。みんな一丸となって、同じスタイルで同じことを、同じ方向に向かって、というよりは、かなりバラつきがあります。
活動している場所も、テーマも違うのですから、これは当然のことです。ただ、被災地の再生に、自分たちができることで貢献したいという気持ちはみな同じです。そのうえでそれぞれが多様な形で活動を進めています。
報告していただいたもの以外にも、いくつか進行中の活動があるのでここで紹介します。

 

●NPO法人ねおす
岩手県の釜石で、我々の仲間が活動しています。ここは北海道の「NPO法人ねおす」という団体が中心となっていて、公にRQとは名乗っていませんが、自分たちを「RQの別動隊」などと呼んだりしてくれています。
ここはRQと同じように、冬はいったん活動を休止していましたが、春から新たに「三陸釜石自然学校」という名称で活動していく予定です。同時に、地元の方々が進めている街づくりプロジェクト「どんぐりとうみねこ村」と連携しながらやっていきたいと考えているそうです。

 

●ホールアース自然学校
もうひとつ、「ホールアース自然学校」が中心となって、福島県南部のいわきで現在も活動しています。
福島県は震災発生当初、RQが最初に支援活動をしようと考えていた場所でしたが、放射能の問題で断念した場所でもあります。今後の活動について正式な構想はできていませんが、いわきは原発の放射能をジワジワ浴び続けている事実がだんだんわかってきている場所です。いわきは原発の20km、30km圏内から避難してきた人がたくさんいます。現在も多くの市民が暮らしているわけで、またここから避難しなくてはならないとなれば大変です。
ホールアース自然学校は、いわきでできることを現在模索しています。
いわきでは、たとえば漁師村の古民家を再生して、漁師の文化があったことを伝えていく活動や、里山再生の活動をしているNPOや、皆さんよくご存知の「スパリゾートハワイアンズ」が自然学校をつくる動きもあります。
スパリゾートハワイアンズは震災の影響で長期休館していましたが、つい先日(2012年2月8日)、華々しくグランドオープンしました。オープンしたことで、自然学校をつくるという動きが、今はちょっと止まってしまっていますが。(笑)

 

このように多様な動きがいわき市内で起きています。それらをうまくコーディネートしながらいわきの子どもたちを、あるいはそこに暮らす市民の人たちを、復興に向けて元気づけられる活動を、いわきの自然学校としてやっていきたいと思っています。
このような動きがあることを、ここで併せて報告しておきます。

 

報告にあったように、RQのメンバーはそれぞれの場所で個々に動き始めています。
たとえば、唐桑はもうボランティアという言葉は使わずに「地域再生支援研修員」という名称で、地域を応援する仲間として一緒に働いてくれる人を求めています。
さまざまなツアーを迎え入れる体制をつくり、今後はエコツアー団体として展開していこうという明確なスタンスを取ろうとしています。

 

一方、小泉やくりの木ひろばのように、これからもボランティア団体として活動を続けていこうとしているところもあります。
大半のところはボランティアを受け入れつつ、一方でエコツアーも同時に受け入れていきたいという考えで、これからまた多様な形に移行していくでしょう。

 

そのボランティアですが、支援金が途絶えてきているため、これまでのように全国から寄せられた支援金で活動費を賄うことが難しくなってきています。これからは、自分たちでお金を稼ぎながら活動していくしか方法はありません。
今後はRQにボランティアとして来られる方にも施設利用料という形で実費をご負担いただきたいと思っています。1泊2食(または3食)付きで、送迎のガソリン代を含め2,000円程度をいただく予定です。
震災から1年を迎え、ボランティアの受け入れを再開するための準備として、決めねばならないことでした。交通費もかかるうえに恐縮ですが、よろしくお願いします。

 

一般社団法人RQ災害教育センターとして支援金が確保できたら、また東京からバスを出すことも検討していきたいと思っています。今、申し上げたすべての活動については、HPやブログをご覧になってください。

 

(構成/Natalie Cook)

 
 

動かなければ変わらない
閉会の挨拶 佐々木豊志さん

 

RQの3.11 一周年シンポジウム RQ災害教育センター 理事メンバー

12月9日に立ちあげた社団法人RQ災害教育センターの理事メンバー
右から八木さん、広瀬さん、佐々木さん、江本さん

 

今週の日曜日で、震災から1年になります。この1年間、今日発表があったように、被災地を支援しよう、応援しようという動きが、本当にアメーバのように広がっていきました。中には失敗したり、うまく行かなかったこともたくさんあったと思いますが、皆さんはそれをいつもミーティングで受け止め、議論して、明日はこうしようというつながりを積み重ねて来たと思います。

 

被災地は今もガレキの片づけが進んでいません。さらに、目に見えない放射能も、福島だけの問題ではなく、もっともっと気にしないと行けないという状況になってきています。放射能は県境など関係なく越えていくので、日本全体の問題、或いはもう世界全体の問題になりつつあり、これからの大きな、避けては通れない課題です。どんな問題もどう受け止めるか、自分たちで考えていくところがRQのいちばん良いところだと思うので、そういう姿勢で皆さんが今後も活動に関わってくれることを期待しています。

 

1年前を振り返ると、自分は本当に何をやってきたのか、自分はいったい何者なのかと思うぐらい、いろんな状況に対応し、活動してきたと思います。目の前の状況に対してどう動くか……要はアクションを起こすことが何より大事だと思うので、動けば変わるといつも念じていました。ただ、動いて好転することもあれば、逆に壁になって重圧に押しつぶされそうな時もありましたが、動かなければ変わらないのは事実なので、これからも一緒に動いていきましょう。

 

私自身は宮城在住なので、今は宮城の産業復興、雇用を作ることに力を入れています。12月のシンポジウムの時、200人の雇用をつくると宣言しましたが、今は地元の行政、企業、NPOも含めて、どうやってこれからの未来をつくっていくか、具体的に自立していく道――自立のためにどういう事業を興して、どう動く必要があるか――を検討しています。

 

今は木材資源を活用し、森林からエネルギーを取るバイオマスに力を入れています。政府の方でもバイオマスという言葉がたくさん出てきたように、森林資源をエネルギーに換えれば、相当なエネルギー革命が起こると思うんです。ただ、ここでも放射線の問題があります。うちの自然学校はエコビレッジで、薪をエネルギーにしていますが、薪を燃焼するとセシウムが200倍濃縮される、燃やすと灰に溜まるんです。だからどんどん燃やすと除染よりも効果あるかなと思うのですが、その灰の処理をどうするかが問題です。
ガレキの処理を他県が受け入れてくれないとか、いろいろ議論はありますが、それははっきりと情報が伝わってないからなんです。私自身も放射能に関して、1年前はそれほど知識はありませんでしたが、だんだんわかってくると、どうしなきゃいけないということがわかってきます。わからないままだとどうにもわからないので、どうすればいいのか。だから皆さんも気にして、放射能をどう受け止めて、数字に惑わされずに、数字を正しく認識していただければということで、いろんな課題があると思います。

 

なんとか地域の資源を生かした産業を興せば、皆さん元気になるんですよ。沿岸の人は漁業が復興すれば元気になるし、内陸は地元の資源を生かせば元気になる。そういう知恵を貸してください。東北の人は、どうしても積極的に出ない人が多くて、外から声かけてもらって一緒に動く方が効果的に進むケースがあるので、ぜひ行って、遠慮なく声かけて、一緒に進んでもらえればと思います。
この問題は5年、10年、15年……もっと続いていく課題なので、皆さんと一緒に動きたいし、盛り上げる活動をぜひ続けてください。本日はどうもありがとうございました。

 

(構成/江戸川淑美)

 
 

1年前の3月、4月、1週間ごとに、ここでこんな風に多くの人たちが集まって、どのように支援をすればよいか、全体会議をしていました。一陣で行った人たちが現地の状況を、こんな風に、まだ行けてない人に対して報告していました。その時に、最後にいつも被災地のことを考えて、自分の中で黙とうをして終わっていました。
1年前のその時を思い出して30秒だけ被災地のことを静かに考えてから終わりたいと思います。
黙とう。